可愛いって罪深~~!!

どこにでもいるオタクの殴り書きテキスト

SUPERHEROISMの考察もしくは怪文書

こんにちは、カッツミ~☆彡です。久しくブログを更新していなかったのですが、せっかく書くタイミングがあったので、書こうと思います…。


以下『SUPERHEROISM』を見た前提で書くブログとなりますのでほんまに、ネタバレとか、知りませんので、…夜露死苦御願死魔酢(酢ダサすぎん?)


SUPERHEROISM(以下スパヒロ)で主演を務める嶺亜くん(以下全員敬称略)が最後に言うセリフ。
ちなみにセリフなどは全部ニュアンスでお届けします。メモ書きなどは、できない人なので…。

『テレビや映画の中で見るヒーローとは違って、ヒーローというのは、思ったよりむなしいものです!』

的なことを言うんですよ。彼は。満面の笑みで、最後に。ここほんまにめっちゃ好きなんよ…。
千秋楽の後半を見ていて初めて思ったのですが、自分(ゴタンダ)の恋愛から大光(ピーマン)の恋愛を叶えることにした瞬間、そこまでのゴタンダのキャラはいなくなったんだな〜…と。
もともと、ゴタンダは甘ったれで、子供で、個性というよりひとつ何かキャラがない、そんな自分に自信が持てない。そんなキャラクターでした。ちなみに、夢も希望もない、と言う割には別に暗かったり病んだりもしていません。メッチャ明るいし…。
ですが後半、バイトたちとの会話や様々な出来事(まぁ、そんなに様々でもないので唐突に変わった感は否めない)によって彼のキャラクターには変化が生まれます。そして、ラストへと繋がる『自分(とバイトの二人)が悪を演じてチサを襲い、それをピーマンが助けることで彼の恋を後押しする』シーンを思いつくわけです。しかし、これは自分の恋を諦めるということと同義です。ゴタンダは自己犠牲をもってヒーローになろうとするわけです。一見善い行いに見えるこの行動ですが、一つ大きな落とし穴があります。

それは、いつか自分が破滅する可能性があることです。自ら望んでの自己犠牲は大いに結構です。しかしラストで嘘をついてまで魚屋が出した魚肉ソーセージ脅迫文のことをかばったり、積極的に場を盛り上げようとしたり、結果ラストシーンで『むなしいものです』と発言していることを踏まえると『ゴタンダはヒーローキャラを演じているだけ』ではないでしょうか?しかも、自分でその行為がむなしいものだと薄々気づいているのではないでしょうか?…とするならば、いつか演じるのにも限界は来ると思いますがそのとき彼はどうするのでしょうか?

もしかすると、魚屋はゴタンダの未来としてありえる可能性の一つなのかもしれません。自信がなく、研修中におどおどしていた姿は魚屋と通ずるものがあるような気もします。

口笛を吹いて、自分というヒーローを呼んでほしいというのは、ヒーローとしての使命感ではなくゴタンダ自身の承認欲求ではないでしょうか?何もなかったはずの自分にとって、居場所となったハートビートマーケットに馴染める/誰かに求められる自分であれば求められる姿はなんでもいいのでは?

しかしここでもう一つ疑問が浮かびます。であるならば、ラストシーンのピーマン(大光と呼んだほうが良いのかもしれません)の語りで『ヒーローに助けられたことがある』『恋を描きたかったのではなく、彼を描きたかった』というセンテンスは少々ズレており、若干変ではないかという点です。
この点だけに注目するならば、『すべてこの話は作り話であり、この舞台における世界上にゴタンダという人間も、他のキャラクターたちも実際には存在しない』という可能性もあります。

そもそもヒーローという概念は曖昧ですし、ラストにおける魚屋のかばい方ははっきり言ってヒーローらしくないとわたしは感じています。それを自分なりのヒーロー像に自分を落とし込む途中だと考えるか、不完全なヒーローだと考えるかは分かれると思いますが、少なくともわたしは本来の意味でのヒーローが行う振る舞いではないと感じています。まぁ、この舞台におけるヒーローはそれでいいのかもしれません…。普通、人のカゴから商品をパクるヒーローはいないので…(冒頭シーン参照)。
そういった意味では、これは不完全なヒーローの継承を描いた舞台と言えるのかもしれません。冒頭のヒーロー(以下モブヒーロー)を見て(もしくは夢想して)、ゴタンダはヒーロー的存在に憧れる。そのゴタンダがヒーローらしい振る舞い(ここでのヒーローは、モブヒーロー準拠のヒーロー)をする。それを見たピーマンが、ヒーローの姿を描く。こういった流れであれば作中に出てくるヒーローの振る舞いが若干一般的なヒーローと違うような気がするのも解決できますし、ゴタンダがヒーローキャラを演じているだけでも問題はないような気もします。ピーマンは不完全なヒーローを見て(すべてをピーマンの夢想として)、そのとおりその姿をフィクション(かもしれない)であるピーマンなりのヒーロー像として描いただけなのですから…。

ところでひとつ疑問なのですが、ゴタンダは19歳新人アルバイト、となっていますが服装を見るに作中の季節は高卒後の~3月以前、もしくは同年10月以降~ですよね?という…このアルバイトの開始時期が~3月以前というのはばあちゃんの亡くなったタイミングを思うと少し考えづらいような気がするので、ゴタンダ、もしかしてばあちゃんの遺したお金で半年ちょい生活してた?(個人的な感覚ですが、この作品で親もしくは両親と生活している若者は一人もいないのではないかと思われます。ゴタンダはばあちゃんに育てられたようですし、ピーマンのスーパーで余分なものを買うお金がないという発言からも独り暮らしの苦学生感が出ていますし、肉屋のバイト、魚屋のバイトからもそれぞれに家族との関わりが薄そうな表現が見て取れます。肉屋のバイトは言うまでもないと思いますが、魚屋のぬいぐるみ遊びというのも家庭内における一人遊びの延長線にあたるとも考えられるためです。チサが愛を信じずお金に拘るのも理由は不明ですが、家庭環境や現在の生活環境に何らかの原因があるのだと思われます。ただ生鮮のエイタに関しては、おそらく青森から家族で引っ越してきた…もしくは単身上京してきたと思われるのではっきりとは言い切れません。この点は、エイタのみ最後に悪を演じていないところからもしかしたら違うということなのかもしれません)

また、千秋楽でやっと気づいたのですが『夜回り先生!』のシーン、完全にカワイが元々は元ヤン→教職、もしくは元ヤン→夜回り→スーパー勤務になったという流れの説明ですよね…。や、何回目で気づいたんやという…。蛇足ですが。

正直全然解釈まとまっていないのですが、パンフレット読み込んでもう一回頭の中で咀嚼したらもっといいものが出るかもしれません。まぁ、それをみなさんに見せることがあるかはわかりませんが…。

とりあえず、地下牢に帰還するので、終わります。
今日でひとまず、Heart Beat Market 客役、解雇です。ありがとうございました。またいつか、機会があったら来店したいと思います。

P.N.カッツミ~☆彡より。